3年前は、滋賀県の余呉湖で公魚釣りをしてました。
そこはラジオや携帯の電波の入らない場所での緊急地震速報。
携帯の圏外から解除されてからの「大丈夫か!?」
友達や家族も一緒に心配してくれる中、公魚釣りのメンバーで、被災地の実家の方がおり、その連絡で知って家族に連絡しようにも家族からなかなか連絡が取れないくようやく繋がった母親からの電話。
一言、「家族は大丈夫!でも家はもうダメだ・・・」と言われて狼狽する友達。
父親は?姉は?大丈夫なの?と今までに味わったことがない不安に襲われ挙動不審?そんな狼狽していた友達の姿を覚えています。
テレビの電源を入れると、目を疑うような沿岸部の光景が。
放心状態の友達に私達が声を合わせて
「両親のとこに行けば!!」考えるより行動だよ!と言った記憶があります。
当時私が乗っていたワイドミドルのスーパーGLに友達に乗って貰って私達が思いつく救援物資を積めるだけ積んで、実家へ行ってもらいました。
のちほどその友達に聞いた話でわ、
家族の安否が確認出来てホッとしたのも束の間、倒壊した実家を目の前にし、ただただ突っ立てるしかありませんでした。と話を聞かされました。
あの日ほど私達の無力さを痛感させられた事はありませんでした。
ただ、
意外だった事が、2つあったそうです。
自宅は無事だった方が避難所に列を作っていたことだそうです。
食料品の配給かな?と思いきや、どうやら違ってて…。
行列の先を見ると、携帯電話の充電をしていたそうです。
連絡がつかない家族から、いつ連絡が来ても良いように携帯電話だけは電源を入れておきたい。誰もが考えていたみたいです。
避難所にはまだまだスペースがあるのに、校庭等に乗用車を停めて車中泊する方がたくさんいたそうです。
理由は、
「なんだか落ち着かなくて」
「うちは犬がいるから」
いろいろな理由で避難所に入れない方がたくさんいたそうです。
私はその話を聞いて思うことは、一つ有りました。
もしキャンピングカーを所有していれば・・・
とそう思いました。
普段は仲間や家族の思い出を残す相棒が、何かあった時には家族を守る心強いの味方になる。
あれから3年経った今でも本気で思っています。
夜に照明が使えて、携帯電話を充電し、家族が安眠できる。これほど安心できるものは無いと…。
1週間ほどの滞在後、三重に戻って友達から話を聞かされた時の思いは今も変わりませんでした。
この時から有事の際キャンピングカーが必要になる。キャンピングカーは必要!!
そして、
キャンピングカーに何が出来るか?と友達の体験を元に試行錯誤して模索しております。
例えば、防災セットに本当に必要なものは何?
真っ暗な夜、個人個人の行動には家族の人数分だけのライトが必要だとか…。
がれきの埃ですごい環境では1日で何度もマスクの交換が必要です。その為100枚単位の簡易マスクが必要だとか…。
いろいろ友達から話を聞きました。
もちろんこの内容を守れば100%安全ということはありません。
災害発生時は予測できないことの連続です。
だからこそ「日々の防災意識・減災意識」が大事になると思ってます。
思い出を作る最高の相棒。
家族を守る最後の砦
キャンピングカーはそうだと思ってます。
グダグダに終わってしまってスミマセン。
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